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十二月十二日、将軍である徳川慶

十二月十二日、将軍である徳川慶喜は既に大坂へ旅立ってしまっていたが、言いつけ通りに新撰組は二条城へ赴いた。

 

 

 しかし、同様に警護を任されていた水戸藩とぶつかることになる。今や名を失くした徳川の幕府ではあるが、その実体や元の威光まで無くなった訳では無かった。

 

 近藤は丁重に挨拶へ向かったが、https://blog.udn.com/29339bfd/180136688  https://mathewanderson.blog-mmo.com/Entry/3/ https://ypxo2dzizobm.blog.fc2.com/blog-entry-67.html  新撰組などお呼びで無いと一蹴されてしまう。いくら命で来たと言えども、聞く耳さえ貸して貰えなかったのだ。

 

 

「所詮は浪士崩れだとでも言いてえのだろう……」

 

 

 行き場を無くし、一度不動村屯所へと戻った土方は舌打ちをする。いくら功績が認められて幕臣まで登り詰めたとはいえ、それはだけだったのだと痛感させられた。恩賞の額面と、肩書きが変わったところで、周囲の認識が変わらなければ意味が無い。

 

 結局は新撰組を良く知らぬ者から見ると、逆立ちしても出は多摩の百姓であり、乱暴な浪士の集まりなのだ。

 

 

「戦が始まるかも知れねえってのに……形ばかり気にする奴らばかりじゃ、どうしようも無えな……。これじゃ先が思いやられる」

 

 

 呆れたように永倉は肩を竦める。

 

 思えば世が乱れ始めてから、割と年月が経ったはずだ。黒船がやって来ても、港が開港させられても、天誅が流行っても、時の大老が暗殺された時でさえ、暮らしには何一つ変化が無かった。だからだろうか、時勢が他人事のように思えてならぬのだろう。

 

 明日も明後日も、この先も、ずっと泰平の世が続くと漠然とした思いになるのだ。

 

 

 目の前で親しき者が殺され、家が焼かれ、砲弾の脅威に晒されてから、そこで漸く不変など無いことに気付くに違いない。

 

 

 薩長──特に長州なんかはどの藩よりもそれを体感した。故に幕府との温度差が激しいのだろう。

 

 

 

「まあまあ。そこで活躍すんのが、俺たち喧嘩屋の新撰組だろう?」

 

 

 永倉の肩へ腕を置いた原田は、袖を捲りあげてはニヤリと笑った。力こぶを作ってはそれを叩く。

 

 それを苦笑いしながら聞いていた土方は、眉を寄せた。

 

 

「ああ、その通りだ」「だが、この後はどうする。二条城の警護も出来ねえとなっちゃ、俺たちの立つ瀬が無いぜ」

 

 

 永倉の言葉に、ずっと黙っていた近藤が口を開く。

 

 

「永井様へ相談したところ、護衛として共に下坂することとなった。結局のところ、上様が直々に水戸藩へ二条城の留守を守るように命じられたらしい。我らも大坂へ馳せ、真意を伺おうという話しだ」

 

「流石は近藤さんだよォ。根回しが早いねェ」

 

 

 井上は感嘆の声を上げた。会津は守護職を解かれた後に、慶喜と共に下坂している。ならば以前より新撰組を懇意としてくれている永井を頼るのが正しいだろう。

 

 

「……そういう事だ。直ぐに出立の支度をする。……っと、その前に。"新遊撃隊御雇"だが、返上した。俺たちは新撰組で在りてえと言ったら、意外とすんなり承諾してくれたよ」

 

 

 それを聞いた一同は歓喜の声を上げた。

 

 

 だが、浮かない表情をした者が一人いる。それを目の端に見付けた山口は、結んでいた口を開いた。

、何か心配事でもあるのか」

 

 

 桜司郎は、先日苗字を榊へと改めたのだ。桜之丞としての記憶を思い出したことが一番大きい要因ではあるが、一人で榊の家を守り続けた藤への敬意でもある。

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