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会津本陣のあった黒谷で

会津本陣のあった黒谷で、沖田と俊春が試合をしたあのときのことである。その際、メインイベントの前座として、俊春相手に、佐川官兵衛をはじめとした会津の剣士たちと、永倉、斎藤、藤堂、島田、おれ、それからラスボスの副長。合計十一名で、俊春に挑んだのである。

 

 翻弄されまくった。もちろん、おれたちがである。しかも、俊春は目隠しをして、であった。

 結局、だれかさんの超絶汚いが炸裂した。例の胡椒爆弾である。それでも、まったくかなわなかった。

 それは兎も角、メインイベントの後、https://blog.goo.ne.jp/debsy/e/0eeec4f33fd0b6aaeb00426a6dafbf7d https://blog.naver.com/nav3656/223187997269 https://freelance1.hatenablog.com/entry/2023/08/20/002648?_gl=1*1123u0b*_gcl_au*NDk5MTMyMTEwLjE2OTI0NTg3NDE. その場にいるほとんど全員でかかり稽古っぽいものをやった。会津侯や桑名少将も、飛び入り参加された。

 

 あのとき、みんな笑顔で木刀を振っていた。

 

「これはなにも、をかけたり勝ち負けを競うわけではない。ましてや、あいつは敵ではない。はやい話がお遊びのようなものだ。ゆえに、あのときのように愉しくやる。いいな、主計?」

「はい、永倉先生」

「おーい!であれば、おれも・・・・・・」

「土方さんはいいんだよっ!」

「副長は遠慮してくださいっ!」

 

 副長がいいかけたところに、永倉と同時にダメだししてしまった。

 

 

 まるで

「ちぇっ!おれはこれでも、「理心流」の目録だぞ」

 

 軍靴のさきで砂を蹴っていじけている副長が、ちょっとかわいい。

 

 ちなみに、その副長の目録であるが、「天然理心流」の第三代目宗家が、副長にやる気をださせるために授けたボーナスポイントだったとか。

 

 副長は、その真実を局長からきき、ずいぶんとショックを受けていた。

 

 それは兎も角、副長の超絶チートなは、正直勘弁してもらいたい。

 

 なにせ、せっかくのチャンスなのである。この浜辺での出来事は、いい思い出として残しておきたい。

 

 って、そんなことをかんがえている間に、俊春のジャンプが唐突にとまった。ウオーミングアップは、終了ということであろう。

 それからかれは、ゆっくりと三歩、こちらに歩をすすめる。

 

 いつもどおり、最初は無手で戦うつもりにちがいない。

 

 うしろで、だれかのうめき声がきこえたような気がした。

 

 たしかに、うめき声を発したくなる。

 

 なぜなら、俊春がやけにおおきく感じられるからである。

 

「くそっ」

 

 永倉が、おれの横で毒づく。

 

「愉しくやろうって申してみたものの、がらにもなく緊張しちまっている。余裕など、まったくなくなっちまった。なんだあれは?また強くなっているように感じられると申せばいいのか、成長しているのではないのかと表現していいのか、兎に角、まえには感じられなかった凄みがある」

 

 残念ながら、永倉とおれとでは、経験も実力も天と地ほどの差がある。ゆえに、永倉がいまいったほど、おれにはそれらを感ることはできない。

 おれも強くなっているとか、成長しまくっているわけではないのもまた、残念でならない。情けないが、おれ自身は弱すぎるままだし成長もしていない。

 

 いや、それだけではないか。

 

 相手の強さを感じるセンサーが、お粗末きわまりないのかもしれない。

 

 とはいえ、そういわれてみれば、どことなくちがう気もしないでもない。

 

 俊春は、ここのところ地獄レベルにワークアウトをおこなっている。それのせいなのであろうか。それとも、兄貴がいなくなっても力がみなぎるよう、自分自身に暗示をかけているのであろうか。

 

 それ以上に、局長のことで精神的に強くなったのであろうか。

 

 頭を振り、気合を入れなおす。

 

 永倉のいうとおりである。愉しむことに専念すべきだ。

 この面子では、だれかさんをのぞいてはおれが一番弱いんだ。いい恰好をしたり、見栄をはる必要などどこにもない。

 

 そう結論付けると、すこしは気が軽くなった。

 

 踏みしめる砂が気持ちいい。

 

 そういえば、親父と海水浴にいった記憶がない。小学校のとき、一度だけ京阪沿線にある、「ひ〇パー」こと「ひ〇かたパーク」のプールに連れていってもらったくらいだ。

 

「ひ○かたパーク」は、市にある。現代で運営されている遊園地のなかでは、日本最古である。以前は秋になると、「大菊人形展」なるものをやっていた。その年の大河ドラマをテーマに、菊人形を展示していたのである。それもたしか、2005年くらいで終了したかと記憶している。

「大菊人形展」は、大阪の秋の代名詞の一つだったのである。

 

 それは兎も角、海水浴の経験があまりないため、砂浜で肌を焼いたりビーチバレーをしたり、なんて経験があまりない。ましてや、『ナンパ』、なーんてものも。

 

 こんな砂地で、どれほどの脚さばきができるのか・・・・・・。

 

 はやい話が、自分がどれだけ動けるか、まったくわからないということである。

 

「迷うな、ゆくぞっ」

 

 永倉は、そういうなり駆けだした。「手柄山」を振りかぶり、迷うことなく俊春の右側にまわりこんでゆく。

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