その後、依織と甲斐の交際が始まり、二人の交際は職場内でも広く知れ渡ることとなった。
恐らく、青柳あたりが口を滑らせたのだろう。
依織は、目立つことが嫌いなタイプだ。
本当は周囲に気付かれることなく、朱古力瘤手術 ひっそりと交際したかったに違いないけれど、相手が甲斐だとそうはいかない。
甲斐はその社交性の高さから、交遊関係が広く、全く関係ないような職種の職員とも繋がりがある。
そのせいで、依織は嫌でも注目を浴びてしまうのだ。
そんな居心地の悪い状況の中でも、最近の依織は笑顔を見せてくれることが多い。
「依織、顔面ゆるゆるだね」
「え、ゆるゆる?どういうこと?」
「なんか、ずっと幸せオーラを振り撒いてる感じ」
「ウソ、ヤバいね……」
この日は依織と昼休憩の時間が被ったため、久し振りに二人で院内の食堂に繰り出した。
「あ、このチキン南蛮、意外と美味しい」
「本当?一口ちょうだい。蘭も、こっちのハンバーグ食べていいよ」
二人で定食のおかずをシェアしている間も、私は幸せそうに笑う依織を見つめていた。
あのとき、積丹まで依織と久我さんの後を追いかけて良かったと心から思う。
依織の笑顔を見られるのなら、もう何だっていい。
それに、不思議と依織から甲斐の話を聞かされても、胸が痛むことはなかった。
少しずつ、諦めることが出来ているのだろうか。
あと何ヵ月かすれば、完全に依織への恋心を失った私が存在しているのだろうか。
正直、今はまだそこまで考えられない。
それでも、きっと一歩ずつ、前に進めているはずだ。「甲斐と、うまくいってんだね。そのゆるゆるの顔見ればわかるわ」
「……うん。今のところ、ケンカもなく楽しくやってる」
恥じらいながら微笑む依織は、相変わらず綺麗だ。
出会った頃から、ずっと変わらない。
依織と食事を共にする時間が、私は好きだ。
真正面から、依織のくるくる変わる表情を余すことなく観察出来るから。
「ケンカしたら、教えてよ。私が仲裁してあげるから」
「頼もしいね。ちゃんと私の味方してくれる?」
「それはどうだろ。もし依織に非があれば、甲斐の味方しちゃうかもね」
「じゃあ、ケンカしても蘭には言わないでおく」
二人がケンカをすることなんてあるのだろうか。
まだ交際は始まったばかりだけれど、私は二人がこの先もずっと別れることはないだろうと確信していた。
依織が前の彼氏と付き合っていた六年の間は、何度も別れてしまえばいいのにと思ったことがあった。
直接依織に、早く別れた方がいいと助言したこともあった。
でも、これからはそんなことを感じることも、なくなるのだろう。
「でも、本当に蘭のおかげだよ。ありがとね」
「感謝してるなら、今度ラーメンおごってくれる?札幌駅の近くに、鶏白湯の美味しいラーメンの店が出来たんだって」
「もちろん、おごらせて頂きます」
食堂の定食を食べながら、しばらくラーメン話で盛り上がった後、ふと依織の口からあの人の名前が出てきた。「そういえばこの間、偶然久我さんに会ったの」
「……へぇ、いつ?どこで?」
「先週の金曜日だったかな。仕事終わってスーパーまでの道を歩いてたら、ばったり」
久我さんとは、先週の木曜日にいつもの飲み屋に誘われ、二時間だけ一緒に飲んでその場で別れた。
それからは、会ってもいないし連絡を取り合ってもいない。
あの日の次の日に、久我さんは依織と遭遇していた。
彼は、依織に会ってどう思ったのだろう。
諦めかけていた気持ちが、再燃したのだろうか。
「あの人の様子、どうだった?元気そうだった?」
「勝手に私が気まずい態度を取っちゃったんだけど、久我さんはビックリするぐらい普通に接してくれた。やっぱりあの人、大人だよね。器が大きいし、気遣いが出来るし。私も見習わないとなぁ……」
「そういうとこ、あの人らしいわ」
気まずい態度なんて、あの人は絶対に出さない。
きっとプライドもあるのだろう。
特に依織の前では、尚更だ。
「蘭は、最近会ってないの?」
「たまに、偶然飲み屋で会うくらいかな」
飲みに誘われたことは、依織には言う必要がないと思い言わなかった。
「じゃあ、もしかして前より久我さんとの仲が深まってるとか?」
「深まってない。ずーっと変わらず、一言二言話すだけの関係よ」
さすがにそれは嘘だけれど、あの人との仲が深まっているとは、本当にそこまで感じていなかった。
「あんた、まだ私と久我さんがお似合いだとか思ってんの?」
「うん。美男美女で絵になるし、どこか性格似てるし。それに、二人が一緒にいるのが凄く自然な感じする」
「だから、あの人と私は似てないって……」
「前に私が一度だけ、久我さんに行きつけの店に連れて行ってもらったとき、蘭が後から来たことあったでしょ?」
依織にそう言われ、あの日のことを瞬時に思い出す。
あのときはまだ久我さんが依織に猛烈アタック中だった。
仕事を終え疲れきった体でいつもの立ち飲み屋を訪れた私は、依織と久我さんが並んでお酒を楽しんでいるところに遭遇してしまったのだ。
本来なら依織に会えて嬉しかったはずなのに、あのとき私は少なからずショックを受けてしまった。
依織と久我さんが親しげに話す姿を見てしまったからではない。
あの店に久我さんが依織を連れて行ったことが、恐らく私は嫌だったのだ。
「そういえば、そんなこともあったわね」
「あの日、蘭と話してたときの久我さん、私が今まで見てきた久我さんとは違ってたの。蘭の前では素を見せてた気がする。私の前では、仮面を被ってたのかなって」
「……誰だって、好きな人の前ではカッコつけたいんじゃない?私のことは何とも思ってないから、素を見せただけよ」
だってあの人は、確かに依織に好意を抱いていた。
多分私は、誰よりそのことを知っている。
「甲斐だって、依織の前ではバカみたいにカッコつけるじゃん。頼りがいのある男を演じるときあるし」
「甲斐は……演技じゃなくて、本当に頼りがいあるし」
依織が少し拗ねたような顔を見せたところで、私はトレーを持って立ち上がった。